台風の接近で避難していろいろ考えた話。

週末は台風19号が猛威を奮いました。
まだ爪痕が残されている地域もあり、命を落とされた方もいるようで、哀悼の意を表します。

今回、避難勧告次いで避難指示が出まして、初めて自然災害にて避難しました。
いろいろと考えることがあったので、ちょっとまとめてみたいと思います。

11日

この日は仕事で、通常通り出勤してました。
鉄道会社は12日は各社計画運休するとのことで、自分の職場でも最終の電車で帰るよう早退するよう連絡が回ってきてました。
ただ、午前中と夕方で運休に関する情報が全然違ってきていたんですよね。計画運休も初めは12時とかそれくらいにという話だったのが、夕方には10時に運休すると早まってきました。自分の部署でも最終的に、職場から近い人のみ出勤に交代となりました。
この日までに奥さんが食糧などいろいろ準備してくれていました。これが後に良い方向に転ぶとは。

12日、午前中

午前は雨は降っていたけど、そこまでまだ風が強くなかったですね。
朝から台風の情報のニュースばかりでした。
「もしかしたらやばいかもしれないね」ということである程度避難する準備だけはしていました。

12日昼過ぎ

たしかこれくらいで、近くの地域が土砂災害の恐れがあるとのことで、避難勧告が出ていたと思います。
自分の地域でも避難準備の速報が流れてきていました。
奥さんは「避難しよう」と言っていましたが、避難準備だけだし、もう少し様子を見ても良いかもという話で落ち着きました。
避難すると言ってもね…子供がいるから移動も大変だし、子供のストレスにもつながるから、子連れの避難ってなかなか難しいですよね。
まぁ、実際は避難準備の時点で高齢者と乳幼児連れは避難が推奨されてはいるんですけど。
どうでも良いけど、スマホから流れるあの緊急速報の音って恐怖感を煽りますよね…。

12日、14時頃。避難準備。

自分の家の近くに大きな川がありまして、自分の家の対岸が避難勧告の区域となりました。
「これはそろそろやばいかも」と言っている間に「緊急放流します」のアナウンスがあり、自分の方も避難勧告(避難指示だったかも)となりました。
家から川はかなり近いし自分が1階に住んでいることもあって、万が一、川が氾濫したらおそらく浸水しちゃうんですよね。
あとから知った話なんですが、緊急放流ってダムに溜まった水をいきなり全部出すイメージがあるんですけど、そうではなくて「ダムに入る雨量と、ダムから出る水量が同じになっている状態」らしいですね。

子供もいるし、避難しよかと家族で話し、避難準備をして出発。
この頃になると風もだいぶ強く、傘を差すと危ないくらいでした。
近くの小学校に避難することにして、移動手段を少し悩みました。調べると緊急車両が通れるように車での避難は控えて、という意見もあって。ただ子供もいるし結構荷物があったので、先に奥さんと子供と荷物を車で運んで、駐車できなければ自分だけ車を家まで停めに行く作戦を取りました。

しっかりガスの元栓を締め、ブレーカーも落としました。水のうといって、ビニル袋に水を入れたのをトイレに入れておくと、トイレから水が逆流しないらしいのですが、それも設置。
最後、ブレーカーを落としたあと、雨戸のおかげで光も入ってこない真っ暗な部屋を見て、非日常感といいますか、緊急事態なんだなという気持ちになりました。

12日、16時。避難場所到着。

車を走らせると、外は人が全然いなくて異様な静まり具合でした。
鉄道の計画運休もあってか、いろんなお店も臨時休業しており、いつもやってるコンビニも暗くなっていました。まさにゴーストタウンみたいな。個人的にはこういう有事の際はどんどんお店も休もうよ!と思う人ですけど、まぁそれは置いといて。

避難場所につくと車を停める場所もありました。他に車は10台程度いたかな。
荷物を運び、入り口で乾パン2個と受付票を受け取り、部屋に移動しました。普通の教室に体育で使うマットがいくつか並べられ、そのうちの1枚に落ち着きました。
「緊急放流あるのに1階でいいのかな」とか言いながら受付票に名前や住所などを記入しました。情報をどこまでの人に公開してよいか選ぶ欄があったのが印象的でしたね。
他にいた人たちは、幼稚園くらいの子連れの家族だったり、お年寄りだったりが多かったですね。

12日、17時。避難場所生活。

書き終わってしばらくのんびりしていると、係の人から「緊急放流があるので2階以上に移動してください」と言われました。
同時に「緊急放流はとりあえず見送り」という速報もあったんですけど、台風の最接近は20時くらいだし、上に行っておくに越したことはないってんで移動。
この頃はまだ避難場所が開設されてすぐだったためか、おむつを変えたり授乳する部屋もなく、毛布の貸出もなく、ほんと最低限の場所だけ確保されている感じでした。テレビもなかった。
その後少しずつ、上記の場所が作られ始めましたけどね。
夜の教室で過ごせるってことで、来ていた子どもたちのテンションが高めでしたね。個人的にはこういう元気で過ごせているってのは良いことと思うんですけど、そうは思わない人もいるので難しいですね。

避難中、18時頃に地震もあって、日本沈没するのでは?と思いました。というくらい、心には余裕があったのかな。

12日、夜。

食事はテキトーなタイミングで取ってました。持ち込んだおにぎりやお菓子を食べて過ごしました。
子供の世話も同時進行。おっぱいをあげるときは奥さんが授乳室に行き、自分は荷物番をしたり、夫婦で交代で陣地にいた感じです。これ、母親一人で逃げるのは本当大変だと思いました。被災地って窃盗とかもあるみたいですし…みんな余裕ないからね。

21時くらいに緊急放流が実行され、浸水の心配がピークでしたね。子供は周りの物音で全然寝ずでした。自分と奥さんは少し交代で仮眠しました。幸い、電気と水道は止まっていないので、トイレも困らず明かりや空調も問題無かったです。スマホでニュースを見ると、氾濫した川の情報とか被害状況が報道されて、わかるのはいいけど心配にもなりましたね。

…とか言ってほとんどswitchやってましたけど自分は笑

12日、夜中。帰宅まで。

23時頃になると外はだいぶ静かになり、少しずつ帰る人も出てきました。
子供が全然寝なくてぐずったりしていたので、日付超えるくらいまで河川の水量情報を確認し、多分大丈夫であろうことを確認して家に帰ることにしました。
外はもう月も出ていて、風が少し強いくらいでした。

荷物を車に運んで、家に向かいました。道中、倒木や氾濫の様子は特になく、なんとか無事そうな雰囲気でした。
家についてブレーカーをつけ、エアコンとかwifiが無事に使えることを確認。明かりも灯って、いつもの家で無事に過ごせて一安心でした。
子供もおっぱい飲んだら安心したのか、寝てくれました。
みんなが無事な様子を見て、少し涙ぐむくらいでした笑
少し片付けをして、なんだかんだ3時くらいに寝ましたね。


避難してみて考えたこと

まず、やっぱり避難の決断のタイミングが難しいですね。
避難勧告が出ていて、自治体から避難場所開設のお知らせが来ていれば当然避難してもいいんですけど、避難した先でトラブルが起こらないかとか、実は過剰に心配し過ぎなんじゃないかという正常化バイアスとか。
結果、今回は避難しなくても自分の地域は大丈夫だったんですけど、避難してよかったかなと思います。何かあってからでは遅いし、自分一人じゃなくて家族がいますしね。

避難の決断の難しさといえば、情報を得たときにそれを評価する難しさも相まっている気がします。必要な情報を集めるのがなかなか難しいですね。気象庁の情報が信頼できるんですけど、ほしい情報までなかなかたどり着けず。テレビの情報は過剰に不安を煽ったり悲劇を報じたりしていて、自分の地域の情報が流れているとも限りませんしね。もちろん、映像と音声の情報なので、自分で探すよりは手軽で速い情報という利点はありますね。

それから、今回は台風という、「おそらくこの日に来るであろう」とわかっていた災害なので準備も入念にできたんですけど、震災の場合は準備もままならない状況で避難となるので、日頃の準備や心構えは大事だなと思いました。
避難に持っていく物の準備もそうですけど、家でやっておくことなどなど。今回の避難を通じて知ったことも多いです。いかに自分が知らなかったかを思い知らされました。

避難場所でも自分はリラックスしてるつもりなんですけど、単にアドレナリンが出ているだけのようで、家に帰ってきたらぐったりでした。1日だけの避難所生活なら物資も余裕があるし衛生面も気にならないけど、ライフラインが断絶され何日も過ごすことになると、心身ともに疲れ果ててしまうのがなんとなく想像できました。
同じ部屋にいろいろな人がいるので、そういった対人間のトラブルも起きるかもしれないですしね。


今生きていることに本当に感謝です。
今回の経験はどこかで活かせるよう、忘れないようにしたいと思う所存です。

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