最近の緩和ケアの考え方を学んできました。

最近は緩和医療関連の学会や勉強会に参加する機会が多く、

幅広くも深くも学ばせてもらっています。

そこで、考えたことをまとめておきます。


これまで…と言っても、もう結構たつんですけど、

緩和ケア=治療の断念、という考え方がありました。

1989年のWHOの定義では、「治癒を目的とした治療に反応しなくなった疾患を持つ患者に対して行われる積極的で全体的な医学的なケア」とされていました。

その後、「病期に関わらず」、身体的、精神的、社会的、スピリチュアルな苦痛を取り、生活の質(QOL)の向上を目指すことと定義されました。

病期に関わらず、と定義されてから、もう10年位が立っているんですね。



特に薬剤師だと、主に身体的な痛みに対してアプローチをしていくことが多いです。

患者さんとお話し、どんな痛みかを聞き、腎機能や肝機能など様々な背景を考慮し、

どういった薬が適切か、

または薬ではなく別の方法が良いかを考えています。

それは、痛みというのが炎症や神経など機序がある程度わかっているので、

そこに効く薬を考えているわけです。


ただ、「これは薬でなんとかなる痛み」と考えても、

いろいろな方法を考えても痛みが取れないときがあります。

もちろん、医療者側が見落としていることもあります。

痛み止めがうまく使用できていなかったり、実は痛みがないのに痛み止めを欲しがってしまう状況があったり、などです。

こういう場合には、医療者と患者さんがよく話をして、

お互いの考えていることをお互いに伝え、共有することで解決していきます。

それ以外のときでも、痛みが取れないときがあります。


苦痛には、身体的、精神的、社会的、スピリチュアルの4種類があると言われていますが、

それぞれを独立して考えるのは実は間違いなのかもしれません。

それぞれの痛み、つらさがそれぞれに影響を与え、複雑な因果関係となっていることもあるのかもしれません。

体が痛い原因が経済的な気がかりがあったり、幼い頃の記憶が理由だったりもするようです。

ここまでくると、薬を使用するというよりは、患者さんとしっかり話し合って、

医療者とともに向き合っていく、納得していくのが大切なのかもしれません。


緩和ケア領域で、「アドバンス・ケア・プランニング」が注目されています。

ACPと略しますが、ざっくり言うと、「この先どうしたいかという意向や希望を予め医療者と患者さん間で話し合いましょう」という過程を言います。

がん患者さんの終末期となるとがくっと全身状態が悪くなることも多いです。

そうなる前に、どこで過ごしたいか、やりたいことは何があるかを話し合っておくことで、

信頼関係を構築し、患者さんらしい生活の支援をしていくというようです。

エビデンスに基づいた治療を押し進めるでもなく、

患者さんの意向に合わせて、医療でサポートしていくんですね。

僕たち医療者はともすれば「今はこういう治療があなたには一番!」という考えを押し付けてしまいそうになりますが、

話し合って患者さんが納得できる方法を探すことが大切なんだなと思いました。

全人的苦痛への向き合い方、ですね。


今の医療は、「エビデンスではどうしようもない方法は患者さんと話して納得行く着地点を見出す」方向に向かっているのかもしれません。

医療費はかさむし、家族に負担はかけたくない、エビデンスも乏しく(あってもその人にとっては非現実的)、治療に限界がある、患者数も多く最期を迎える場所も見つからない。

そんな空気がなんとなく流れている気がします。

しっかり話し合い、納得の行く答えを見つける、というのがうまく行けば、

それは機械にも真似できない、人間らしい医療なのかもしれないなと思いました。

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