先日、知り合いが入院し、年を越せるか難しい、とのことで急遽お見舞にいってきました。
奇しくも、自分の元職場に入院中とのことで、複雑な気持ちで向かいました。
その方は母親の職場の元上司でした。
今から2年前に自分がまだ前職にいる頃にたまたま検査入院して来まして、
僕が話したのはそこが初めてでした。
それからフェースブックでお友達になり、何度かご飯とかお家にも遊びに行かせていただきました。
自分はわけあって母親とは絶縁状態なのですが、
それでも母親と自分を本当に大切にしてくださる方です。
今住んでいるところから、高速道路使って車で3時間くらいでしょうか。
病棟に着いてナースステーションで名前を言い(流石に自分を知っている人ではありませんでした)、
するとちょうど清拭しているから待っててほしいと言われ、デイルームに案内されて旦那さんと再開しました。
旦那さんから11月あたりからの経過について聞いていると、清拭が終わったからどうぞと呼ばれました。
病室に入って、気持ちは落ち着いていたのですが、大変な状況なんだなというのがひと目でわかりました。
曲がりなりにも緩和ケアチームとして活動していた時期もあったので、外見や点滴の内容からも、病状の進行はすぐにわかりました。
でも、当たり前なのですが、うまく言えないけれど仕事の時とは全然違う感覚でした。
話しかけたら、僕だとわかってくれているようでした。
第一声は「(みっくの)おかあさんは?」でした。
母親が午前中に面会に来たことは聞いていましたが、
その方は、朦朧とする中でも、僕と母親が仲直りしたのかを気にかけてくださいました。
両手を伸ばしてハグを求められ、応じました。
ギュッと力強さがありました。
それから、同伴者や他の面会の方も次々にお話をし。
僕も去る時間となったので、別れの挨拶をしました。
いろいろと言いたいことはあったのですが、なんというか感情的な部分がうまく表現できませんでした。
「ありがとうね、また会いましょうね。ちょっと休みましょう」
と挨拶をしました。
旦那さんも「遠いとこから会いに来てくれてありがとう。1週間が長く感じるね」などなど、少しお話をして部屋を後にしました。
帰りの車でいろいろなことが頭の中をぐるぐる回っていました。
もっとうまい言葉をかけられたのではないか、旦那さんへの言葉をもっとかけられたんじゃないか、母親へ向き合うべきなのか、自分があの人の立場だったらどうしてほしかったのだろうか。
ただ、いろいろ考えたのですが、そんな理想的なことは自分の中では決められず。
現実の前に無力だなと思いました。
次の日、亡くなられたという連絡を受けました。
会って、感謝の気持ちを伝えられたのは良かったのですが、
もう会えないのかと思うと、ただただ悲しくつらい気持ちになりました。
けれど、泣いていると「そんなん泣かんといてや?」と言われそうな気がして、
前を向いて歩いていかなければなと思います。
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